海士町の魅力
海士町がある隠岐諸島とは
島根半島の沖合約60kmに浮かぶ隠岐諸島には、大小180以上もの島があり、有人島は、隠岐の島(隠岐の島町)、西ノ島(西ノ島町)、知夫里島(知夫村)、中ノ島(海士町)の4つ。
隠岐は地域全体が国立公園に指定されるほど自然豊かな地域で、平成21年には隠岐の地質遺産が島根県初の「日本ジオパーク」に、平成25年には「ユネスコ世界ジオパーク」に認定されました。
海士町は人口約2,200人の島です
海士町(あまちょう)は、島根半島の沖合約60kmに浮かぶ隠岐諸島の中の一つ、「中ノ島(なかのしま)」の自治体の名前です。人口は約2,200人です。
周囲は海に囲まれカルデラの地形は内海と外海をつくり、海の幸をもたらしてくれます。離島であるために独自の生態系が生まれ、貴重な動植物も見ることができます。
また、比較的平坦な土地が多く、かつ名水百選にも選ばれた湧水も含めて水資源に恵まれています。離島にもかかわらず米作りが盛んで、豊かな海と組み合わせた半農半漁の営みで暮らしを支えてきました。
位置・気候
島根半島の沖合、北に約60km、フェリーで約3時間、高速船なら約2時間。
気象庁の2020年までの30年間の値によると年間平均気温は14.9℃で最低気温は2月の1.0℃、最高気温は8月の30.1℃。梅雨や秋雨が降る6月、7月、9月は特に雨量が多く11月から2月にかけ日照時間が短くなり、山陰特有の曇り空の日が多くなります。
冬場は季節風が強く吹き荒れ、船が欠航することも。雪がたくさん積もることは年に1~2回。夏は30度になることもありますが、8月のお盆を過ぎた頃から西風にかわり、朝晩の涼しい風が季節の移り変わりを知らせてくれます。
海士町のキャッチコピー『ないものはない』
海士町のキャッチコピーは『ないものはない』です。
「ないものはなくてよい」「生きるために必要なものは、すべてここにある」という考え方。「ないからこそ良い」という価値観を大事にしながら、「あるもの」を活かす知恵と工夫を楽しむ暮らしを大切にしています。
海士町民とデザイナーの梅原真さんとの対話の中から、海士町を象徴する言葉、島らしい生き方や魅力、個性を堂々と表現する言葉として「ないものはない」は生まれました。
教育
海士町には小学校2校「福井小学校」「海士小学校」、中学校1校「海士中学校」、高校1校「隠岐島前高校」があります。また、未就学児については、認可保育園である「けいしょう保育園」と森の幼稚園スタイルの「島を遊びこむ お山の教室」があります。
豊かな自然と文化に囲まれ、安心安全な町だからこそできる教育環境を整え、学力も人間力も伸ばせる町を目指しています。
隠岐島前高校は、関係自治体とともに進める高校の魅力化プロジェクトや公営学習塾「隠岐國学習センター」を中心に、離島の環境を活かした教育と進路面でのサポートを実現しています。なお、「島留学」と称して校区外からの生徒を積極的に受け入れる学校としても知られています。今では生徒の約6割がこの島留学生となっています。
また、海士町教育委員会では令和6年に「海士町教育大綱」を改正。「自分らしく生きる志を育む島」を掲げ、「認め合う心」「たたえ合う仲間」「高めあう学び」を大切にしながら、学校、家庭、地域、行政が協力する「島まるごと教育」を進めています。
そして、「島のもの・こと・ひとにふれ、親子の絆を深め、島を第二の故郷としてほしい」と小・中学生の親子が島に1年間留学する「親子島留学」を平成29年より実施しています。
産業
海士町の主要な産業は農林水産業です。
海士町には農業に適した平地が多く、また牛の放牧に土地を融通しあう牧の習慣もあることから、昔から農業が盛んです。基幹である水稲はもちろん、野菜類や果物の生産も盛んです。近年では、みかん、ぶどう等の生産にも力を入れています。
また、畜産では「隠岐牛」ブランドで注目を集めています。牛が草を食むのどかな風景も島の見どころです。
一方、日本海という恵まれた漁場にも位置する海士町は、白イカやアワビ、サザエなどの産品が有名です。岩ガキの養殖も盛んで、主力商品「岩ガキ春香」は市場にて高評価をいただいています。これら島の海産物は、急速冷凍技術のCAS商品などでお求めいただけます。
島の近海には様々な種類の魚がすんでいることから、釣りを楽しみに来島する方も多くいます。
戦後のまちづくり
離島である海士町は、昭和28 年の離島振興法の制定を機に、遅れていた漁港や道路、各種の公共施設の整備を進めてきました。また、日本全体の経済成長や人口増加もあり、農林漁業振興や離島ブームを背景にした観光振興も島の雇用を支えてきました。
しかし、平成の世に入ると、島からの人口の流出に歯止めがかからなくなった上に、国・ 地方自治体の財政難も加わる苦しい時期を迎えます。また、自治体機能を維持するための市町村合併も進みました。
そんな中、海士町はこのピンチを町を改革するチャンスと捉え、大胆な行財政改革や地域資源を磨き活かした雇用創出と外貨獲得の戦略を描きました。ようやく一 定の成果も出始めていますが、その歩みは決して成功事例集のようにスマートなものではなく、強い危機感のもとに「ないものはない」の精神で島の自立のために挑戦してきた一人ひとりの物語の集まりと考えています。
島を舞台に様々に挑戦する人を、島を挙げて応援する姿 が島の魅力となって多くの関係人口を生み、更なる挑戦への土壌を作っていく。 「自立・挑戦・交流×継承・発展」という町政の経営指針を町のスローガンとして掲げ、このように 果敢に挑戦し続ける人が集まりたくなる島を目指します。
- 若者が関わりたくなるような魅力ある島「ひとの還流」
- 誰もが家族のように支え合い、安気に楽しく暮らせる島「暮らしの環境」
- あたりまえの豊かさを活かし、その味わいを次の世代に繋ぐ島「里山・里海の循環」
この三本柱である3つの『かん』をさらに推進し、町民一人ひとりを活かすことで全体の幸せへとつないでいける町を目指しています。
観光
海士町には、明屋海岸など国内有数の景勝地、隠岐神社をはじめとする後鳥羽上皇にゆかりのある史跡など、離島ならではの自然や歴史・文化を感じられるスポットが島中に点在しています。一年を通してたくさんのイベントがあり、どの季節でも楽しむことができます。
また、隠岐諸島は、独特の地形・地質・生態系から離島ならではの独自の文化が生まれ、今でも大切に受け継がれていることなどが世界的な価値と魅力として評価され、平成 25 年に世界ジオパークに認定されました。海士町では、令和3年に泊まれるジオパーク拠点施設「Entô」が完成。国内外のお客さまより高い評価をいただいております。
この他、個性的な宿泊施設、飲食店、そして町の面々が皆さまのご来島をお待ちしています。海士町への旅をお考えの方は、海士町観光協会へご相談ください。
自然
隠岐は地域全体が国立公園に指定されるほど、自然豊かな地域で、平成21年には隠岐の地質遺産が「日本ジオパーク」として島根県で初めて認定され、平成25年には「ユネスコ世界ジオパーク」に認定されました。
離島だからこそ見られる独自の生態系や火山活動によって本州と地続きになったり、海になったりなどの大地の変化によって、植生の異なる複数の気候帯の植物がまじりあう独自の生態系が生まれました。
文化・歴史
隠岐諸島は黒曜石の産地として有名です。それゆえ、縄文時代から人の暮らしがありました。
海士町内にも古墳を含むたくさんの遺跡、出土品があります。
都との関わりでは、まず平城京跡から海士町の「干しアワビ」等が献上されていたことを示す木簡が発掘されるなど、古くから朝廷とつながりがあったことがわかっています。また、隠岐諸島は遠流の島に定められていたこともあり、小倉百人一首にも登場する平安時代の貴族・小野篁などの配流が確認されます。
そして海士町の歴史にとって最も大きな出来事は、承久3年(1221)の承久の乱の後、後鳥羽上皇が都から島にうつってこられたことです。この島で19年間お過ごしになり、都に帰ることなく、お亡くなりになりました。『後鳥羽院遠島御百首』など多くの和歌が伝わっている他、島ならではの伝承もあり、今でも海士町でくらす人にとって後鳥羽上皇は身近であり親しまれています。海士町伝統の綱引き大会、子ども相撲大会など、島の一大行事はこの後鳥羽上皇をまつる隠岐神社のお祭りに合わせて行われます。
なお、令和3年(2021年)は、上皇が島におうつりになられてから800年でした。多くの記念行事が行われ、その中の「ごとばんさん芸術文化祭」は秋の恒例行事となりました。
また、明治の文豪・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、隠岐旅行の際、菱浦を最も気に入り8日間も滞在し、著作「知られざる日本の面影~伯耆から隠岐へ」の中に著しています。
島前3島は「島前カルデラ」とよばれる火山性の陥没地形を有し、その地形は、日本海の荒々しい波風をあまり受けず、穏やかな内海のため、かつては北前船の寄港地として賑わいを見せ、民謡やだんじりなどが島に伝わり、今も受け継がれています。
この記事のお問合せ
- 海士町役場 総務課 情報政策係
- 08514-2-0115
窓口
月~金 8:30 - 17:15 ※土曜、日曜、祝日、年末年始を除く